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★英語教育を変えるための選択2

<前日のブログに続きます>
日野原重明さんの「良い医療のために国民を動かす」という考え方に私は大いに賛同していることから始まった今回のテーマですが、教育システムに何かを期待しても、期待が実現できるまで待っていられないというのが、すなおな受ける側の気持ちだと思います。
私はゆとり教育が廃止されて、もとに戻ったとしても、個性を生かす教育ができるとは思いません。また、英語教育がより重視されて、小学校から授業が行われたとしても、それで日本の子どもたちが教育課程を修了するまでに、英語が使えるようになるとも思いません。それは、日本にいれば、英語を使わなくても生活できますし、あえて使おうとすれば、「特別に」その場を設定しなければならないからです。必然がないのですから、ゴールが見えないのです。結局、いい大学に入るためというところに戻って行ってしまいます。
日本で教育を考えるということは、幼稚園から大学までの日本スタイルの「一貫教育」であると私は思います。一貫教育の優れたところは、スタートからゴールまでにやることは明確で、ぶれる必要がなく、スケジュールをしっかり組めるその計画性にあると思います。
その欠点としては、応用に弱い。また、覚えることも、学ぶことも、その量が明確ではありますが、発展的に考えることや創造力を働かせること、個人の「意見」、「考え方」などを取り上げて、それに基づく授業というのは、「量」として換算できないので、難しいことです。
多様性を受け入れること、個性を伸ばすことについては、その考え方は当然ながら尊重するけれども、その具体的なアプローチはできないのではないかと思います。
多様性の受け入れが掛け声だけになってしまっていることは、帰国子女と呼ばれる子どもたちが日本の学校にうまく適応できない現実が明確な例です。授業中に自由に質問したり、議論したりすることは、日本ではクラスの人数を考えるととても難しいと思います。さらには、覚えることが単元ごとに決まっていますから、余計な議論は進行の妨げになるわけです。日本の教育システムでは、異質な帰国子女たちは、その授業の中身のちがいに、退屈してしまうことでしょう。そして、彼らは覚えたことのみをテストされるのであれば、教科書に書いてあることを暗記すれば済むわけで、なぜ授業でそれをしなければならないかということを感じるわけです。
知識の詰め込みは、教育には欠かせません。その基礎がなければ、豊かな発想や個性的なアイディアもとても限定されたものになってしまいます。大切なのは、集中して覚えることを、いつどのようにして生徒に実行させるかまた、発想、着想、問題のとらえ方など、個人の創造力を必要とする部分を教育システムでどのように引き出し、それを生かせるかであると思います。
つづく

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