日曜コラム 剣道-その文化とスポーツ性
剣道を始めて23年ほどになるのですが、その魅力に取りつかれています。
全日本剣道連盟によると、日本での剣道人口は177万人で、
柔道人口16万人の10倍以上です。
世界のいたるところに「剣」はありますが、
おそらく日本の名刀といわれる真剣ほど切れ味の鋭く機能性に優れた
剣は世界でも類を見ないと思います。
ヨーロッパのサーベルはすぐ折れそうですし、中国の青龍刀は
重くて使いづらそうです。
また、日本の武士の持つ剣ほど、文化的、精神的にその価値と意義を
与えられた武器も他にはないと思います。
剣は武士のこころともいわれ、とても大切に扱われました。
そのような伝統が現代の日本剣道には残っていると思います。
日本で行われているスポーツの多くが、
欧米から輸入されたものであるのに対し、剣道と柔道は純粋な国産です。
柔道は東京オリンピックから正式種目として採用され
世界のスポーツとして定着しました。
剣道の世界大会は3年に一度、世界の国々で開かれてはいるものの、
今回の東京オリンピックで正式種目になる動きは全く見られません。
柔道の10倍以上のスポーツ人口がありながら、
なぜ世界のスポーツにならないのでしょうか。
始めるのに防具等を購入せねばならずお金と手間がかかる、
指導者不足、真夏、真冬の練習、稽古の過酷性など、
理由もあげられると思いますが、その一つに競技剣道の判定制度も
あるように思います。
西洋剣道であるフェンシングの判定は、人でなく機械が行います。
多くのスポーツで人間のジャッジの限界が見直せれ、
ビデオ判定や写真判定など、ジャッジの客観性が進歩しているのに対し、
剣道では、世界大会でも、全日本選手権でも、3人の審判が
上げる旗で勝負か決まり、機械やビデオなどは導入されません。
その理由は、審判員は基本的には上位有段者で、競技者に対して
先輩格の人であり、その人たちの意見が絶対だからです。
テニスの国際試合のようなチャレンジシステムもおそらく
剣道の全国規模の試合には採用されないでしょう。
審判員にチャレンジすることなど、剣道の世界では、「もってのほか」です。
審判の判定が絶対であることで、理不尽なくやしさや納得のいかない
試合を経験した選手もたくさんいると思いますが、
日本の文化は、それに立ち向かうよりも、自分を責め、
より高い技術と能力を身に着けることで、他を圧倒せよということに
帰結するのかもしれません。
剣道の頂点、全日本選手権の優勝者のインタビューは、恒に謙虚です。
それはとてもさわやかで、明るく、潔く、立派に思えますが、
頂点は一人しかいません。
礼に始まり礼に終わるといわれている剣道ですが、
そこに至る過程で多くの人々が剣道を通じて、
人生を学んでいると思います。